読むお坊さんのお話

お浄土で共に会える 阿弥陀様の願いとはたらきの中で

巖后 顯範(いわご あきのり)

臨床宗教史・岐阜県願照寺衆徒

久しぶりの再会

 妻の実家を訪れた時のことです。

 「なつかしいねぇー ふるさとに帰ってきたねぇー」

 そう言ったのは、わが家の次男でした。あたかも長い年月、地元を離れていた人が言うような素振りで、まだ6歳の子どもがしみじみと懐かしむ姿に、親はクスッと笑ってしまいました。

 私たち家族が生活しているのは岐阜で、妻の実家は愛媛。頻繁に行ける距離ではありませんので、妻の実家へ帰省することは、子どもたちも楽しみにしている一大イベントです。出発をする1カ月ほど前から、「もうすぐ、おばあちゃんに会える」と指折り数えていました。そんな次男が「なつかしいねぇー」と喜んでいるかたわら、長男は 「ふるさとに帰ってきたねぇー」という弟の発言を聞いて、ちょっといじわる気に言います。

 「ぼくが生まれたのは愛媛だけど、きみは岐阜で生まれたから、ふるさととは言わないよ」と。

 確かに長男は里帰り出産だったので、妻の実家の愛媛で生まれました。一方、次男が生まれる時は愛媛に里帰りをせず、岐阜での出産でした。次男は愛媛で生まれたわけではありませんので、「ぼくのふるさとは愛媛だけど、弟のふるさとは愛媛ではない」というのが長男の言い分です。

 そう言われると次男はムッとして、ケンカの火ぶたが切られようとします。しかし、おばあちゃんの「おかえりぃ」という声でケンカムードはどこへやら。たくさん準備してきたお土産話に花が咲き、久しぶりの再会をよろこびます。「ふるさと」での楽しい日々を過ごしました。

願われている「私」

 「私にとって懐かしいふるさととは?」

 子どもたちの一連のやり取りを見ていて、そんなことを考えました。

 先日、東京に行く機会がありました。自分のこれまでを振り返ってみると、いま生活している岐阜に次いで長い時間、大学の4年間を過ごした場所です。せっかくの機会でしたから、当時下宿していた街をワクワクとした気分で訪れました。初めて親元を離れての一人暮らし。いろいろなことがありました。4年という期間は数字よりも長く感じます。

 「遅くまで友人とこの居酒屋で飲んでいたな」とか、「ここのスーパーでよく惣菜を買っていたな」とか。約10年ぶりに訪れた街でしたので、やっぱり「久しぶりだな〜」という感じはしました。ただ、「ここが私にとってのふるさと」という感じはしませんでした。むしろ「みんな卒業して、今はもう誰もいないな」というもの寂しさが込み上げてきたのです。

 必ずしも生活していたという経験があればその土地や場所が「懐かしいふるさと」になるのではないことに気がついた出来事でした。ともすれば、次男が感慨深く言っていた「懐かしいふるさと」に手がかりが見出せるような気がしてきました。

 以前に読んだ本の中で、こんな詩が紹介されていました。

「ただいま」「おかえり」「おはよう」「おやすみなさい」がある場所が私の故郷です

(『日本一短い手紙 ふるさとを想う 一筆啓上賞』)

 この詩に出会い、私が大学時代を過ごした東京を訪れた時に感じたもの寂しさと、次男が妻の実家を訪れた時にこぼした言葉の正体がわかりました。「ふるさと」とは私を待ってくれている人がいる場所のことを言うんですね。

 浄土真宗で大切にしているお経『仏説阿弥陀経』に「倶会一処」という言葉がでてきます。「倶に一つの処で会う」と読みます。この世との縁が尽きれば、阿弥陀さまのお浄土でまた共に会わせていただくという意味です。先立たれた方も阿弥陀さまの願いとはたらきによって、今はお浄土で仏さまになっておられます。

 そんなお浄土では、阿弥陀さまをはじめ、すでに仏となられた方々が、私がお浄土に生まれてくることを願い待ってくれています。「私のもとに必ず生まれさせるよ」「何があっても私のもとに来てね」と願われている存在が私です。お浄土、これまでに行ったことのない場所ではありますが、そんな方々のもとに生まれていくと、自然と「おかえり」と「ただいま」がこぼれ、「心のふるさとだなー」と感じるのではないでしょうか。

 さて、おばあちゃんのもとに帰省して、子どもたちは「こんなことできるようになったよ! あんなことが楽しかったよ!」とたくさんのお土産話を披露しました。同じように私もお浄土に参らせていただいた時に、この世界でのお土産話をたくさん持っていけるよう精いっぱい生きて往きたいものです。

(本願寺新報 2024年11月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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