読むお坊さんのお話

鏡にうつる私の姿 本当の自分が知らされる教え

大田 利生(おおた・りしょう)

勧学・本願寺派総合研究所所長

絵師だった仏弟子

 もう2カ月前のこと、机に向かっていたある日、ふと目を横にやると、なんともいえない趣のある絵が浮かびあがっていました。机の上はガラス板が置かれ、それが鏡の役目をして、真っ赤に染まったモミジの姿が窓越しにうつっていたということです。

 ところで、ガラス板にうつった絵のほうが実物より美しく見えた、というところに目を向けると、仏典に出てくる話が思い出されてきます。その話とは、仏弟子の舎利弗、目連の2人にまつわるものです。

 2人は過去世で共に絵師でした。国中で一、二を争うほどの実力で、互いに自分の絵がすぐれていると言い合って結着がつきません。そこで王さまに決めていただこうということになり、王さまのもとを訪ねます。王さまは宮殿の大理石でできた向かい合った壁面に、それぞれ描くようにいいます。目連は早速、筆を運んでいきます。素晴らしい絵ができることが予測できるものでした。一方、舎利弗のほうは全く描く気配がありません。ただ、ひたすら壁の面を磨いているだけです。

 いよいよ約束の日がやってきました。王さまは群臣を率いて、はやる心を押さえながら見に来られました。まず、目連の絵を見るなり、「さすが」と感嘆の声をあげられるのです。しかし、舎利弗のほうを見るなり、王さまは憤慨の心をあらわにされるのです。全く描かれていないからです。

 ところが次の瞬間、舎利弗が王さまに次のように申し上げます。2、3歩退いて磨いた壁を見てください、と。すると、それまで何も見えなかった壁にほんのりと、えもいわれぬ絵が現出しているではありませんか。目連の描いた絵がうつっているのです。王さまは、一転して手を高く掲げて喜ばれたということです。

 この状況を違った言い方で説明すると、目連が描いた絵は、み教えに置きかえられます。

 その絵(教え)が舎利弗の磨いた壁にうつっているのは、舎利弗が教えを聴いている、そのような関係に考えることができます。さらに舎利弗が壁を磨いているのは、舎利弗が聴聞している姿とみることができましょう。

近くて遠いもの

 さて、これも鏡にかかわる話です。昔よく研修旅行で吉崎別院(福井県あわら市)に赴きました。ある時、こんなエピソードを聞きました。お参りに来ていた数人の若者と、食事の世話をされていたおばあさんとの興味深い会話です。

 若者が、吉崎別院の近くに「嫁おどしの鬼の面」というものが複数あるが、どの鬼の面が本物ですかと尋ねました。すると、おばあさんは「私はどの鬼の面が本物か知らないけれど、本物が見たかったら、そこに鏡があるから見てみなさい」と。若者たちは何を思ったのか、退散していったということです。

 人間だれも一番よく知って、わかっているつもりの私自身ですが、案外見えていないのが実情かもしれません。しかし、人間だれもが最後に会わなければならないものが一つあります。それは自分というものです。それだけ普段は自らのことを忘れて生きているということです。

 『枕草子』には、「近くて遠いもの、遠くて近いもの」という話がありますが、一番近い私自身、それが一番遠い存在ということかもしれません。死に臨んではじめて自らに会うということではなく、今、自分に気づくということが大切だということでしょう。

 善導大師は「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」(註釈版聖典七祖篇387㌻)と言われます。経教(経典に説かれる教え)という鏡にうつして、本当の私が知らされ、私に会うことができるということです。

 親鸞聖人は、『愚禿鈔』の冒頭に、

 

 賢者の信を聞きて、愚禿が心を

 顕す。

 賢者の信は、内は賢にして外は

 愚なり。

 愚禿が心は、内は愚にして外は

 賢なり。

     (註釈版聖典501㌻)

 

と記されています。

 この賢者とは、法然聖人のことをさしています。法然聖人の教えと人格にふれられてのお言葉とうかがわれます。法然聖人は外には決して賢そうな態度をみせられない。どこまでも大愚のごとき姿をされている。それは、内に賢なる心をもっておられるからだ。それに比べて、この親鸞はどうだろう。内面は愚かであるにもかかわらず、外に見栄を張ったり虚飾に包まれているではないか、と述べられるのです。大きな違いです。法然聖人を鏡とみれば、私の愚かな姿がみえてくるということです。

 救われていくことのありがたさを、お念仏申す中に味わっていきたいものです。

(本願寺新報 2025年01月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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