涙の中にもぬくもりが 「阿弥陀さまとご一緒」の人生を歩む
尾崎 道裕
布教使・奈良県下市町實原寺住職
ホワイト・ライ
以前、NHKテレビの教育番組で「嘘」がテーマに取り上げられていました。人間は何歳から嘘をつくかという実験で、2歳では全体の30%の子どもが嘘をつくようになり、3歳では50%、4歳では80%、そして7歳ではほぼ100%、その年になると嘘をつく経験をしているというのです。
番組の中である教育学者の方が、「子どもが嘘をついたら、怒るのではなく、発達を喜んであげましょう」とおっしゃいました。つまり、嘘をつくためには高いスキルが必要なのだそうです。具体的には他者の心を推測する能力、自分を律する能力の発達が前提となります。ですから、子どもが嘘をついたら直接ほめないまでも、子どもの成長を喜んであげてください、とのことでした。
また、7、8歳を過ぎると、同じ嘘でも「自分の利益のためではなく、相手を思って嘘をつくこと」もあるのだそうです。それを専門用語で「ホワイト・ライ(白い嘘)」と言って、「正直であるべきか、優しくなるべきか」という葛藤のうえに、優しさのほうが正直さを超えてしまうというプロセスの中から起こる嘘なのだそうです。
皆さんは「ガチャガチャ」をご存じですか。私の長女は「ガチャガチャ」が大好きでした。買い物にでかけると決まってお気に入りのガチャガチャをやりたがりました。
その長女が8歳の時のこと、足早にお気に入りのガチャガチャの前にいくと、私が渡したコインを入れ、レバーを回しました。すると、おもちゃの入ったカプセルが出てきた瞬間、すごい勢いでそのカプセルを両手で覆い隠すように持って、「これ欲しかったやつ!」とニコニコしているのです。
でも、実はこれ嘘なんです。
カプセルが出てきた瞬間、容器が透明なので私にもカプセルの中身がだいたいわかります。それは以前、ガチャガチャをした時に出てきたものなのです。同じものが連続で出たので、本来は残念な気持ちになるはずなのですが、長女はあえて私を困らせまいと喜んで見せたのです。
私たちは日常、嘘を使い分けながら生きています。ある意味においてはこの社会を、人間関係を円滑に生きていくための知恵といえるのかもしれません。一見、長女の姿は優しい嘘の姿でもありますが、これが行き過ぎると相手の目や思いを強く意識し、相手の気持ちに沿って生きていくところにしんどさを感じることがあるかもしれません。
よび声となって
先日、ご門徒さんのお宅にうかがった時のことです。いつものように玄関先で声をおかけしてから仏間に入ると、そのご門徒さんがお一人でお仏壇の前に座って手を合わせていらっしゃいました。
「あ、ごえんさん来てくれてはったんですね」と振り返るご門徒さんの目には、少し涙がたまっていました。
この方は半年ほど前にご主人を亡くされて、今は一人で暮らしておられます。日頃はおしゃべりが大好きで、いつも笑顔の絶えないお方です。涙をぬぐった後、「ごえんさんに恥ずかしいところ見られたわ」と、今度はいつもの笑顔でおっしゃいます。
世間とは、素直に涙を流せない場所なのかもしれません。
「もう泣くのをやめて前を向いていきましょう」という周りの声に、「そうね」とうなずいて笑顔は見せるけれども、誰にも見せない悲しみは心の中に残ったままです。周りの目を気にし、心配をかけてはならない。そうやってこころの隅にしまっている私の本当の悲しみを知ってくださるお方が阿弥陀さまです。
阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」とお念仏申すこの私にご一緒してくださいます。
本堂やお仏壇の前、お念仏の環境を整えてくださるその場所は、世間とは違う場所です。
私がどのような思いを抱えていても、どのような状態であっても、この私を抱いて離さない阿弥陀さまが、お念仏申すところにご一緒してくださる温かい場所です。
「つらいね。悲しいね。その悲しみと共に歩んでいくよ。南無阿弥陀仏」と、阿弥陀さまは私が称えるお念仏となって喚んでくださいます。
先ほどのご門徒さんにとって、お仏壇の前は素直に泣き、時には愚痴をはける場所なのでしょう。誰にも見せることができない、人知れず流す涙の中に阿弥陀さまはご一緒してくださいます。
世間を生きる私を、浄土の仏のいのちと仕上げてくださる阿弥陀さまとご一緒の人生を、お念仏申しながら歩ませていただきます。
(本願寺新報 2025年03月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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