読むお坊さんのお話

亡き人の愛情と共に 阪神・淡路大震災から30年

鍋島 直樹(なべしま・なおき)

龍谷大学教授・神戸市中央区真覚寺住職

悲しみと生きる

 思いもかけない災害や死別に遭われて、悲しみの中で過ごされている方々に心からお見舞い申し上げます。

 1995年1月17日午前5時47分、震度7の阪神・淡路大震災で生まれ育った寺院が壊れました。世界中が壊れてしまったのではないかと思うくらい怖かったです。余震が続き、からだ中が地震計のように敏感になりました。ある方は火事の炎が迫ってきても、倒れた家具にからだが挟まれて逃げられず、家族を逃がして亡くなりました。今も切なく、ただ手が合わさります。諸行無常の教えを知っていても、無常が受けいれられませんでした。

 直後は葬儀をしてさしあげられず、2月に初めて葬儀をつとめました。多くの方が会葬に訪れられ、悲しみを共有する時となりました。困難の中で、多くの方々に援助いただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。世界中からのさまざまな支援が生きる力となりました。

 大震災後、離別の悲しみをどう受けとめたらよいのかについて真剣に求め、仏教聖典を読み直しました。答えはすぐに見つかりませんでした。やがて飢饉や疫病で亡くなった方々を偲んで親鸞聖人が書かれた手紙が心に響きました。「臨終の善し悪しを問題にしなくてもいい。弥陀に信心を恵まれて平生に正定聚に住しているから、全ての死は尊い。如来の願いによって必ず浄土に往生するとあなたが人々に伝えた通りである」という内容でした。また覚如上人『口伝鈔』に、親鸞聖人の死別の悲しみに寄り添う姿勢が示されていました。

 後に『死別の悲しみと生きる』(本願寺出版社刊)という冊子を出版する際、編集者は「死別の悲しみを超える」という表現がいいのではと助言してくれました。自分の胸に手をあてて考えてみました。私の周りには死別の悲しみを乗り越えて元気に生きている人はいません。むしろ死別の悲しみを感じながら、亡き人の愛情と共に生きている方々ばかりでした。死別の悲しみは乗り越えるものではなく、そのまま愛や慈しみになると感じています。そう私が答えると、編集者は理解してくれました。

 柳宗悦は、悲しみの意味について著書『南無阿弥陀仏』にこう記しています。

 悲しさは共に悲しむものがある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものは悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈しみでありまた「愛しみ」である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それゆえ慈悲と言う。

 このように悲しむことは温めることです。亡き人は、死を超えた愛となって、現在と未来にも生きつづけています。

3つの姿勢

 親鸞聖人は、3つの姿勢で悲しみに寄り添われました。

 第1に、泣きたい時には泣けばいいと説かれています。無常を受けいれられずに悲しむ凡夫をこそ仏さまが必ず救ってくださる。だから声をあげて嘆き悲しんでいいと。涙は愛情の証です。

 第2に、悲しむ心を少し休ませてくださいと話されます。親鸞聖人は「かなしみにかなしみを添ふるやうには、ゆめゆめとぶらふべからず。...酒はこれ忘憂の名あり。これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし」(註釈版聖典907㌻)と説かれています。コーヒーとスイーツ、お茶と和菓子もいい。誰かと一緒に飲んで話せると、ほっとします。他愛もない会話が気持ちを休めてくれます。

第3に、生死を超えた依りどころが心の中に生まれると、悲しみが和らいできます。生死を超えた依りどころとは、何ものにもさまたげられない他力の仏法、あなたを必ず救うとよびつづける弥陀の声、南無阿弥陀仏です。親鸞聖人は仲間の死を悼み、「かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ」(同770㌻)と書かれています。死は終わりでなく、死別しても、必ず浄土で会えます。さらに親鸞聖人は「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし」(同560㌻)とうたわれています。亡き人は弥陀の本願によって浄土に往生して仏さまと成られ、浄土から濁世に還って、人々を導いてくれます。

無常の悲しみを縁として、支えあって生かされていく道が生まれます。追悼法要やお仏壇、墓前で手を合わせる時間は、ただ念仏して、亡き人の愛情を思い起こし、素直な自分の気持ちを見失わないでいられます。追悼法要を通して、災害の悲しみを生存者が家族や子どもに語るから、次世代に災害から身を守ることが伝わります。原子爆弾の恐ろしさ、戦争の悲しみを語るから、平和な世界を求めつづけられると思います。

 亡き人から受けた愛情、その人にささげた愛情を忘れないでいることができるのは、今ここに生きている自分自身だけです。悲しみから生まれる慈しみがあることを、悲しみから守れる命があることを、あなたと共に次世代に伝えつづけていきたいです。

(本願寺新報 2025年01月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

※カット(え)の配置やふりがななど、WEBサイト用にレイアウトを変更しています。

※機種により表示が異なるおそれがある環境依存文字(一部の旧字や外字、特殊な記号)は、異体文字や類字または同意となる他の文字・記号で表記しております。

※本文、カット(え)の著作権は作者にあります。

一覧にもどる