呵責
「良心の呵責に堪えかねて」などと使われるように、呵責は、厳しく責めさいなむことを意味する日常語として知られています。
この呵責は仏教語で、仏典にもよく出てきます。修行僧の守るべき規律を記している律蔵の中に、修行僧がそれを破ったときの治罰する方法の一つとして、衆僧の面前で呵責することが挙げられています。つまり、お釈迦さまは、その僧を責め叱りつけ、非難されるのです。
その意味では、現在使われている呵責の意味と同じだったといえますね。
お釈迦さまは、おだやかで優しい人だったと伝えられています。しかし、叱るべきときには、きちんと厳しく叱りつけられたのでした。
最近、少年少女の非行がよく問題にされていますが、このようなお釈迦さまの態度を参考にされてはいかがですか。