ご消息・ご親教

全国門徒総追悼法要(秋の法要) ご門主法話(ご親教)「私たちのちかい」

ご親教2018/11/23

「私たちのちかい」についてのご親教

 本日は、ようこそ全国門徒総追悼法要・秋の法要へお参りくださいました。この法要は、この一年間にご往生された全国のご門徒の方を追悼する法要であります。お亡くなりになられた方をお偲びして、浄土真宗のみ教えを聞かせていただくご縁といたしましょう。

 今日の社会状況をうかがいますと、過疎化や少子高齢化、また価値観の多様化などがより一層進んだ結果、従来のように、お寺と地域社会やご門徒の方々が身近な関係にあった時代とは大きく変化しました。ご門徒のご家庭においては、例えば今までのように、み教えが祖父母から子や孫へというように代々受け継がれていくことも難しくなり、その結果、お寺との関係も徐々に希薄になってきているように思います。

 しかし、一方でこのような社会であるからこそ、従来のような伝統的なお寺との関わり方ではなく、一人の人間として仏教や浄土真宗のみ教えに、生きる依りどころを求めている方も少なくないのではないでしょうか。私たちには、そのような方々の思いに ( こた ) え、さらには後に続く世代の方々のために、先人の方々から受け継いだお念仏のみ教えを正しく、また、わかりやすく伝えていく責務があります。

 ところで、私は 伝灯奉告法要 ( でんとうほうこくほうよう ) の初日に「念仏者の生き方」と題して、 大智大悲 ( だいちだいひ ) からなる 阿弥陀如来 ( あみだにょらい ) のお心をいただいた私たちが、この現実社会でどのように生きていくのかということについて、詳しく述べさせていただきました。私たちは、 縁起 ( えんぎ ) 諸行無常 ( しょぎょうむじょう ) というお 釈迦 ( しゃか ) 様がさとられたこの世界のありのままの真実に気づくことができず、常に自己中心の心で物事を捉え、その結果として悩み悲しんだり、また、 他人 ( ひと ) と争ったりしています。阿弥陀如来はこのような 煩悩具足 ( ぼんのうぐそく ) の私を悲しまれ、そのままに救い取ろうと願われてはたらきつづけてくださっています。

 この私のために願われた阿弥陀如来のお 慈悲 ( じひ ) のお心をいただいたならば、 凡夫 ( ぼんぶ ) だから「何もできない」、「何もしない」、あるいは「何をしてもよい」というような姿勢とはおおよそかけ離れた、すなわち、少しでもそのお心にかなうよう身を ( つつし ) み、言葉を慎んで、 他人 ( ひと ) の苦しみや喜びを、自らの苦しみや喜びとするような人間につくり変えられていくのです。そして、このことが、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現のための大きな一歩となるのです。

 今、申し述べましたことを踏まえ、私はこのたび、この「念仏者の生き方」を皆様により親しみ、理解していただきたいという思いから、その肝要を「私たちのちかい」として次の四カ条にまとめました。

私たちのちかい

  一、自分の(から)に閉じこもることなく
(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

  一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように

  一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

  一、生かされていることに気づき
日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように

 この「私たちのちかい」は、特に若い人の宗教離れが盛んに言われております今日、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたいと思っております。そして、先人の方々が大切に受け継いでこられた浄土真宗のみ教えを、これからも広く伝えていくことが後に続く私たちの使命であることを心に刻み、お念仏申す道を歩んでまいりましょう。

 本日はようこそご参拝くださいました。

2018(平成30)年11月23日

浄土真宗本願寺派門主  大 谷 光 淳

本願寺新報2018(平成30)年 12月20日号掲載