優秀な兄と自分を比べて苦しくなります。学校の先生にも「○○の弟か」と言われるし、両親にも「お兄ちゃんはこの年で○○ができた」などと言われると、何も悪くない兄のことを恨んでしまいます。人と自分を比べずに生きていける方法が知りたいです。
(10代 中学生)
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A「ものさし」の存在に気がついて
人と自分を比べずに生きていける方法が知りたいということですが、実は私も知りたいのです。そうすれば毎日、気楽に過ごせるだろうなと思います。というのも私も自分と他人を比べることもあれば比べられることもあります。しかも、比べたあるいはは比べられた結果で一喜一憂してしまいます。
ではこのことについて、どう対処すればよいのでしょうか。仏教の考え方を通して、私たちの姿を見てみると、ヒントを得られるかもし…れません。仏さまがご覧になられた私たちの姿はどのようなものでしょうか。それは、つねに「自分が自分が」と言ったり、思ったりして行動している姿です。言い方を変えると、私たち人間は、いろいろな物事を判断するときに、自分の中にある「ものさし」を使って自分に都合の良いように判断している、ということです。しかも、このものさしを何よりも頼りにしてしまっているのです。だから、自分のものさしを他人に押しつけたり、振りかざしたりします。また、それとは逆で他人のものさしを押しつけられたり、振りかざされたりもします。その中で思い通りの結果になったりならなかったり、一喜一憂しながら過ごしています。けれども私たちは、自分や他人のものさしに振り回されていることにも、それらのものさしが苦しみを生み出してきているということにもほぼ気づかずに過ごしています。そのうえ、ものさしに気づき捨てようとしたとしても、なかなか捨てることができないのです。頼らないようにしようとしても、頼ってしまいます。そう。悲しいかな、人間はものさしなしに生きていくことは、なかなかできないのです。
でも、自分がものさしを頼りにしているということや、そもそもものさしを持っているということを知っているのと知らないのとでは大きく違います。
あの人も、この人も、そして自分までも、それぞれのものさしを持っている。このことを知ることで、物事の感じ方が変わってくるかもしれません。他人のものさしに振り回されているだけではなくて、自分もものさしで他人を振り回していると心に留めてみることからはじめてみてはいかがでしょうか。
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A人が比べた結果よりも、自分そのものに目を向けて
比べてしまうと辛くなる思い、よくわかります。「兄は兄、自分は自分。私を見てくれ」と悲痛な叫びにも近い思いを、ご相談の中に感じました。人間は、“比べて生きる”ということを、無意識のうちにしてしまう生き物なのかもしれません。そして、“比べる”ということが苦しみを生み出していることにすら気づいていないことも多いのです。
以前のことです。私は、テレビでオリンピックのとある競技を見ていました。日本の選…手を応援していたのですが、結果は4位。メダルが取れず残念に思っていました。おそらく大多数の方がそう思われていたのかもしれません。競技後のインタビューも、「残念ながら4位」「惜しくも4位」という言葉から始まっていました。その中で珍しく、開口一番「おめでとうございます」というインタビューがありました。その後にこう続きます。「この大きな舞台で自己ベストを更新することができましたね。よかったですね!」と。私はハッとしました。このインタビュアーは選手の結果を見ていたのではなく、選手の頑張りを見ていたのです。メダルを取れた他の選手との順位の差を比べて見るのではなく、その人そのものを見ていたと言えるでしょう。このようなまなざしが自分に注がれているということは、とてもうれしく、とても力強い支えとなってくれるのではないか、と感じました。
結果を比べてものを見る目線でなく、その人そのものを見ていく目線があれば、人はもっと心豊かに生きていけるのではないかと思います。ですから、表面的な結果を見て発せられた他人の評価に一喜一憂するのではなく、自分そのものを見つめていくことができれば、苦しみから一歩抜け出すことができるかもしれませんね。
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