勉強がきらいです。どの教科も楽しいと思ったことはありません。
この先10年以上、勉強し続けていかないといけないなんて、無理です。
(10代以下 小学生)
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A学校の勉強じゃなくてもいい。「好き」なものを見つけて、「感動」をつたえる人になろう。
ぼくが中学生だったころ、理科の先生はいつも、つまらなそうに理科の授業をしていました。だからぼくもいつしか、理科の勉強を、「つまらない」と感じるようになりました。
でも、高校生のときに出会った理科の先生は、いつも自分じしんが楽しそうに、目をきらきらかがやかせながら、授業をしてくれました。もっと早く、こんなすてきな先生に出会っていたら、ぼくも理科を好きになっていたのになあ、なんて思います。…(勉強ができないことを、先生のせいにしては、いけないけどね…)
人は、自分が好きなことを人につたえるとき、とてもかがやいているものです。かがやいている人に出会えたときは、しあわせです。その人が「好き」なものを、なぜだかぼくも「好き」になれるから。そう。ふしぎなことに、「好き」の気持ちは、人のかがやきを通して、ほかの人にも、つたわるのです。それが、「感動」(かんどう)ということです。
きみが勉強をきらいなのは、そういうすてきな先生に、まだ出会っていないからかもしれないね。だったら、きみじしんが、目をかがやかせることのできる、「好き」なものを見つけて、その「感動」を、人につたえればいいと思うんだ。それは、学校の勉強とはかぎらないから、ゆっくりさがしたらいい。きっと見つかるよ。
ぼくも学校の勉強は、大きらいだったけど、大きくなって、お坊さんになってからは、仏さまの教えに「感動」して、目をきらきらかがやかせながら、勉強したり、人に教えたりする
先生や、先輩のお坊さんたちに、たくさん出会いました。みんなみんな、すてきな人たちだったよ。そうして、気がついたらぼくも、仏さまの教えを勉強するのが、大好きになっていました。それは、ぼくが三十三歳のころです。学校を卒業して、だいぶ時間がたっていましたが、ぼくはやっと、「勉強を好き」になれたのです!(やったー!)
勉強がきらいなきみの気持ちも、すごくよくわかるのだけど、そんな風に、学校を卒業したあとで勉強を好きになることだってある。きみも、いつかきっと「感動」できる何かに出会えるのだから、「自分は勉強をきらい」だと、今のうちから決めつけないでほしいなあ。
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