ずっと一緒に -「本当に長らくお待たせいたしました...」-
加藤 真悟
布教使 大阪府四條畷市・自然寺住職

小さな幸せ
「早く帰って来るんやで」
出かける娘に、私は必ずこの言葉をかけます。まだ学生ですし、帰りが遅くなると、とにかく心配だからです。
私たち家族が住んでいる地域は、山手に広がる新興住宅地で、街灯はあるものの、夜は決して明るいとは言えません。遅くなればなるほど、人通りも極端に少なくなります。そこを娘が一人だけで帰ってくるのが、非常に心配なのです。
ですから、遅くなる時には必ず連絡するようにと、これもたびたび言うのですが、なかなかこちらが思うような連絡の仕方はしてくれません。これがなおさら心配なわけです。
そんなある日のことです。いつもより遅い時間になっても、娘が帰ってきません。連絡もありませんので、連れ合いに、娘の携帯電話へ「電話をかけてみて」「メールをしてみて」「ラインをしてみて」と頼んで、私自身も同様に連絡してみました。
しかし、連れ合いにも私にも、いつまでたっても返事がありません。家の中で待っておれない私は、気がつけば携帯電話だけを持って外に出ていました。
坂を上って帰宅してくる人たちの中に、娘の姿を確認しようと、坂の上で待っているのですが、暗がりの中に、その姿を見つけることができません。私の足は無意識のうちに、坂の下にある最寄りの駅へと進んでいくのでした。
娘から何の連絡もないまま、駅の改札前にたどり着いた私は、今度は電車を降りてホームから改札に向かって出てくる人たちの中に、娘を探そうとします。しかし、やはりなかなか降りて来てはくれません。私はあてもなく、不安なまま、携帯電話の画面を見つめ、ただただ待つばかりでした。
30分ほど待ったでしょうか。私には非常に長い30分に思えました。すると、娘が電車を降り、改札の方へ向かって来ました。
「お~い、父ちゃん心配して迎えに来たぞ!」と大声で叫びたい気持ちを抑えつつ、改札を出てくる娘を見つめていました。
ですが、娘のほうは、友達とでしょうか、携帯電話でやりとりをしているのです。画面を見つめたまま、改札の外で待つ私の姿には気づきません。改札を通って出てきてから、初めて私がいることに気がつきました。
その時、私を見た娘の第一声は「父ちゃん、何しに来たん?」でした。
私はひと言だけ「心配やから迎えに来たんやで」と言いますと、娘は「ああ、そうなんやぁ」と言うだけ。
さすがにがっかりしましたが、それより何より、もう安心です。娘を一人だけで暗がりの中を帰らせずにすんだのですから。
娘は携帯電話をカバンに入れ、いつもは暗いところが嫌いなはずなのに、時に声を弾ませながら、私に今日一日のことを話し、並んで歩いてくれました。父親としての、小さな幸せです。
今、私のところに
金剛堅固(こんごうけんご)の信心の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護(しんこうしょうご)して
ながく生死(しょうじ)をへだてける
註釈版聖典591ページ)
その翌朝、おつとめをさせていただきますと、阿弥陀さまが立って、私をご覧になっていました。
そういえば阿弥陀さまも、私が仏さまの前に座り、お念仏する身になるまで、30分どころか、果てしない時間を待っていてくださったのでした。
私に「早く帰ってくるんやで」とおっしゃってくださり、人生どんなことが起こるかわからない、不安いっぱいの暗がりの中を、「お前一人で歩かせるにはあまりに心配や」と、私のところまでおいでくださり、「南無阿弥陀仏」の仏となって、私を守っていてくださったのです。
私は遅くに帰ってくる娘を迎えに、不安なまま、ただ駅の改札までしか行きませんでした。しかし、阿弥陀さまは違います。私がどこにいても、いつでも、必ず私のところまでおいでくださいます。
「安心したらいいんやで。大丈夫やからな。お前と一緒にずっとおるんやで」
いろんな出来事がある今日一日を、私も阿弥陀さまと歩ませていただきます。私の安心は、阿弥陀さまの安心です。阿弥陀さまの安心が、私の安心でありました。
(本願寺新報 2018年11月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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