門弟との緊迫した対話-命がけで歩まれた先輩の姿がしのばれる-
玉木 興慈
龍谷大学教授 大阪市此花区・浄興寺住職

「親鸞におきては」
『歎異抄』の著者である唯円房は、「耳の底に留むる」(註釈版聖典831㌻)親鸞聖人のお言葉を記しておられます。
「耳の底に確かに残っている言葉」とは、繰り返し聞かれたお言葉、感動したお言葉、印象的だったお言葉でしょう。
その唯円房にとって、『歎異抄』第2条は、驚くほどに厳しく感じられた、親鸞聖人と東国(関東)の門弟方との緊迫感のある応答です。
住み慣れた東国を離れ、京都に帰られた親鸞聖人のもとを訪ねてきた東国の門弟たち。それを迎える親鸞聖人のお言葉は、「何年ぶりでしょうね。懐かしいですね。お互い歳を重ねましたね」というご挨拶もあったかとは思いますが、『歎異抄』には次のように記されています。
「20日以上はかかるであろう遠い道のりを、ようこそお越しくださいました。途中でけがや病気になるかもしれない、賊に襲われて金品や、命までも奪われるかもしれない、そんな危険をおかしてまでも命がけで私を訪ねてこられたのは、まさに往生極楽の道を確かめたいということですね」
ここまでは、門弟方も、想定していた言葉でしょう。けれども、この続きの言葉は、驚くほどに厳しいお言葉です。
「私があなた方と共に東国にいた20年の間に、伝えるべきことは全てお伝えしましたよ。私が若い頃に法然聖人からお聞かせいただいたお言葉の全てを、皆さんにお伝えしましたよ」「もし何か新しい言葉や教えが聞きたいのであれば、私のところに来たのは大間違いです。奈良にも比叡山にも、多くの優れた学僧がおられるから、どうぞそちらに向かいなさい。私のところにきても、何も新しいことはありません」と、命がけで訪ねてこられた門弟方を追い返すようなお言葉を語られます。
この言葉に、門弟方も、唯円房も、ドキッとされたことでしょう。たたみかけられるように、けれども、諭されるように、「私にとっては、若い頃にお聞かせいただいたよき人、法然聖人のお言葉が今でもずっと、生きる支えになっています。お念仏とともに阿弥陀さまに救われていく道が全てです」とおっしゃいます。
「私にとっては」とは、文字通りに受け取れば、親鸞聖人にとってということでしょう。けれども、「私にとっては」とは、「あなた方にとっても、そうではないのですか?」という問いかけでもあるでしょう。
ドキッとさせるお言葉をかける親鸞聖人は、これほどの厳しい言葉をかけなければならないつらさや、伝える・語ることの難しさを痛感しておられたことでしょう。また同時に、これほどの厳しい言葉をかけても、必ず私の語りたいことをその通りに受けとめてくれるに違いないという確信もおありだったと想像します。阿弥陀さまとかたくつながり合う親鸞聖人と門弟方の絆を感じます。
「身命をかへりみず」
親鸞聖人が門弟方に語られたお言葉に、「身命をかへりみず」(同832㌻)というお言葉があります。命がけでということです。往生浄土の道について尋ねるために、門弟方が命がけでこられたということです。
私は、日頃接している学生たちに、「命がけで学んでいますか?」「命がけで学ぶほど大事なことを学ばせていただく機会に恵まれているんですよ」「20日もかけず、数分でご本山に通うことができるのに、お聴聞に通っていますか?」と問いかけることがあります。
ひるがえって、私自身はどうかなぁと振り返ることもあります。
私も、「ご本山の法座になかなか足が向かないなぁ。学生時代の先輩や後輩、時には教え子がご講師のときには、足を運ぶようにしているけど、聴聞の姿勢がそれではダメだよねぇ。落語などは、同じ演目でも、噺家さんによって随分と印象が異なることがあるから、話し手さんが重要な要素となるけれども、ご法話の場合は、どなたが話されているかは二の次のハズだよなぁ。どなたも阿弥陀さまのお話をしてくださっているんだからなぁ」と自身を反省することばかりです。
今年2月、私の尊敬する先輩教授が往生されました。すぐれた研究、熱心な指導・教育、ご門徒のみなさんやご家族を思う優しいまなざしにあふれた先輩でした。20年以上にもわたるご闘病生活の中、今から思えば、まさに「身命をかえりみず」に歩まれたご生涯でした。せめて爪のあかでも...とねがいながら、先輩の跡を慕いたく思っています。
(本願寺新報 2024年06月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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