<なみだほとけ>いつも悲しそうに叱る母の目には
後藤 明信
九州龍谷短期大学学長・佐賀県神埼市浄光寺住職
聞いたそのまま
「AI超え炸裂!」などと将棋の藤井聡太名人の超人ぶりを表現されることがあります。藤井名人は将棋AI(人工知能)では予想できないような指し手や複雑な曲面を正確に読み切る力で、将棋ファンのみならずプロ棋士さえをも驚かせています。将棋の世界ではAIを活用して研究することは、もう普通のことのようです。
このAIが専門的な分野に限られることなく、日常の生活のなかにも急速に普及してきました。最近よく話題になっているのは、膨大なデータから学習したパターンをもとに新しい文章や画像などを創造的に予測して生み出す「生成AI」と呼ばれるものです。
AIの仕組みは人間の脳のはたらきにヒントを得て設計されているそうですから、何も知らなかった幼い子どもがいつの間にかおしゃべりがじょうずになっていくことや、さまざまな経験によって学習し新しい文章や絵を自分なりに作り出せるようになっていくことと似ているように思います。
それにしても子どもたちの記憶力や学習能力には驚かされます。先日、ご門徒のお宅で「しんじんのうた」のおつとめをした時、保育園に通う女の子も一緒にお参りしてくれました。
「ひかりといのちきわみなき あみだほとけをあおがなん」と大きな声でおつとめをしてくれたのです。「ちゃんと聞こえていたよ。じょうずにおまいりできたね」と言うと、その子のおじいちゃんが「お寺の保育園でおまいりがあるそうで、いつの間にか覚えたようなんです。でもこの子は〈なみだほとけをあおがなん〉っていうんです。〈なみだほとけ〉と聞こえたんでしょうね。だから〈なみだほとけ〉ではなくて〈あみだほとけ〉だよと何回教えても、いいや〈なみだほとけ〉だよといって聞き入れてくれないんですよ」と笑いながら話してくださいました。
なんともほほ笑ましいですね。聞いたそのままを何の疑いもなく身につけていくのは、先入観も偏見もない子どもだからこそといえそうです。
でも〈なみだほとけ〉ってありがたいですね。学生の頃に木村無相さんの『念佛詩抄』という詩集を読んでからずっと心に残っている詩があります。
涙には
涙にやどる
ほとけあり
そのみほとけを
法蔵という
この詩は「法蔵さま」と題してあります。「正信偈」に「法蔵菩薩の因位の時(法蔵菩薩因位時)」とある法蔵菩薩のことです。
仏さまは最初から仏さまではありません。必ず菩薩(おさとりを求めて修行する人)として願いをおこすのです。そしてこの願いを完成させるためにとてつもない長い時間をかけて修行し、その結果ようやく仏になることができるのです。
阿弥陀さまも、この「法蔵菩薩」として願いをおこされました。そしてその願いのとおりの仏になられたわけですから、法蔵の願いは阿弥陀さまの願い、阿弥陀さまの願いは法蔵の願いなのです。
願いは必ず願う相手(対象)があります。相手もいないのに願いだけがおこることはありません。こんな人がいるから、こんな状況だから願わずにおれない。だから黙っておれないし、願わずにおれないのです。
法蔵の願いの出発点は、この私が不安と苦悩をかかえて生きていることなのです。思いもよらぬ突然の出来事にうろたえ、大切な人を失った悲しみから立ち上がれず、こんなはずではなかったと悲嘆にくれる私。また自分の愚かさに打ちひしがれているのもこの私にほかなりません。
阿弥陀さまは、このような私に「いつまでもくよくよするな」「いつまでも涙を流すな」という仏さまではありません。「つらいね、悲しいね」と涙をこらえきれない私の涙にやどり、私の涙のところに生きていてくださる仏さまなのです。「涙にやどる」とは願いそのものでしょう。あなたの悲しみを法蔵の悲しみとし、苦悩に打ちひしがれるあなたとともに生きるのだという、まさに大悲の願いなのです。
私の母は大声で怒るようなことはなかったのですが、幼い私を叱る時、いつも目には涙をためながら悲しそうにしていたことを思い出します。誰よりも私のことを悲しみ願っていてくれたのでしょう。
AIは膨大なデータを学習しパターン化してどんな文章でも簡単に作りあげますが、涙の意味を理解することはできるのでしょうか。
(本願寺新報 2025年06月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
※カット(え)の配置やふりがななど、WEBサイト用にレイアウトを変更しています。
※機種により表示が異なるおそれがある環境依存文字(一部の旧字や外字、特殊な記号)は、異体文字や類字または同意となる他の文字・記号で表記しております。
※本文、カット(え)の著作権は作者にあります。