読むお坊さんのお話

すべての生あるもの 仏さまの救いは私に向けられたもの

竹本 崇嗣(たけもと・たかし)

布教使・愛知県刈谷市・刈谷布教所

ホタルの生態

 愛知県東部の三河地方はホタルの里です。といっても昨今、同じうたい文句は日本中で使われていることでしょう。ホタルは清らかな川と街灯のない静かな環境を必要とする、繊細な生き物です。水中のコケに産み付けられた卵から孵化した後、1年ほど貝類を捕食して大きくなり、水辺の地中でサナギになり、成虫になると水だけを飲みながら2週間ほど生きます。

 まったく異なる姿に変態していく記録映像を見ると驚くばかりで、どれもホタルの一時期の姿を切り取ったものであるにもかかわらず、同じ生き物であるとはとても信じられません。ただどの姿のときでも「光る」という共通の特徴が、ホタルだと知らせてくれます。

 古来より親しまれてきたのは成虫になってからの姿でしょう。短い期間をかすかな光を明滅させながら生き抜く様子がいかにも健気で儚げで、それゆえに愛されてきたのはもっともなことです。やはり美しくか弱いものにこころが傾いてしまうのが人情というものなのでしょう。

 しかし、幼虫時代の意外にどう猛で肉食で大食な姿を知ると、ちょっと印象は変わってしまいそうです。「成虫はキレイだけど、幼虫はちょっと...」というのは、なんだか失礼な気もしますね。

 ホタルの生涯がすべて自分の思う美しさに彩られていてほしいだなんて、勝手な理想の押し付けというものです。勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手にガッカリしている。ホタルの生態から私の身勝手さが知らされます。

人間だけでなく

 そしてふと思うのです。ホタルのあり方に良し悪しをつけることなど、おこがましいことではないだろうかと。お聖教を開くと「十方衆生」とのお言葉がいたるところに見られます。阿弥陀さまが「かならず救う」とお誓いくださった「一切の迷いの生類、すなわち生きとし生けるものすべて」(浄土真宗辞典「衆生」)を指します。

 衆生というと、煩悩に束縛されて苦から離れられない凡夫、つまり人間を指すことが多いようです。しかし、阿弥陀さまが「かならず救う」とお誓いくださった対象が、人間だけということがあるでしょうか。たまたま人間としての生を得て、浄土真宗のみ教えを聞かせていただきました。真実信心をめぐまれて「南無阿弥陀仏」とお念仏よろこぶ身にならせていただきました。

 もし人間以外の生であれば、それにふさわしい救いの手だてが用意されていたはずです。そうでなければ「十方(すべての方角)の衆生」とおっしゃるはずがありません。人間である私には、人間以外の生類のための、救いの手だてが見えず、聞こえず、理解できないだけなのだ、と味わっております。

 ホタルも私も、阿弥陀さまのまなざしの前では救わずにはいられない一切衆生のともがらです。小さな生き物をとおして、仏さまの救いは私に向けられたものなのだと気づかせていただくとき、小さな命が輝いて見えます。

 そんなホタルと共に生きる環境を維持しようという取り組みは、ホタルやそのエサになる貝類の放流という形で行われてきましたが、現在では問題点が指摘されています。

 「野生生物は、それぞれ住んでいる場所の環境と結びついて生きていますから、他の場所に移したり、持ち込んだりしてはいけません」(環境省「こどもホタレンジャー」)

 日本固有種であるゲンジボタルは東日本型と西日本型に分けられ、見分けることは難しいものの、遺伝子レベルで異なるとか。それらを混在させてしまうと交雑の結果、遺伝子汚染が引き起こされるというのです。

 またホタルを増やすことだけを目的とした行為は、他の生き物や環境に負担をかけ、結局はホタルの数をも減らしてしまうとも。

 ホタルの放流には他にも食害や環境破壊などの問題がありますが、当事者であるホタルは文句ひとつ言うでもなく、その一生をまっとうしています。生まれた場所で、運ばれた場所で、それぞれ生き抜いています。

 でも、もしかしたらホタルのほうが人間を操っているとは考えられないでしょうか。人間の感情や価値観を利用して、長距離の移動や、より強い種の誕生を実現しているのかも。支配されているのは、実は人間のほうだった?

 一切衆生を聞かせていただくと、他の生き物に対する敬いやおそれの気持ちが育まれて、実に良い感じですね。

(本願寺新報 2025年06月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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