名に込められた願い 「苦悩するあなたを放っておけない」
佐竹 真城
東京仏教学院講師・栃木県那珂川町常圓寺衆徒

子どもながらに
私の名前は「真城」です。お寺に生まれたからとはいえ、珍しい名前ですよね。この名前について、小学生の頃だったと思うのですが、「自分の名前の由来を調べてみよう」という宿題があり、父に尋ねたことがあります。
「おじいちゃんと、お父さんと、『城』の文字を受け継いできてるから」と、そのとき聞かされたことを今でも覚えています。
祖父は「竹城」、父は「宗城」ですから、これには「なるほど」と思いましたし、「お寺の跡取りとして期待されてるんだろうな」なんて子どもながらに感じて、うれしく思ったものです。
ところが、父はお寺のことで私に対して普段から「あーしなさい、こーしなさい」とは言わない人でしたから、私は高校まで、お寺とはほとんど関わらずに育ちました。ただ、大学進学に際しては、父は私に龍谷大学の仏教学科を勧めてきたのです。
大学がある京都は好きな場所でしたし、深く考えることもなく、父の勧め通りに進学させていただきましたが、これが私にとって大きな転機となりました。
仏教を専門に学ぶ学科ですから、どうしても仏教に触れることになるのですが、仏教を学ぶことが思いのほか面白かったのです。もしかすると、これが父の狙いだったのかもしれませんが、友人にも恵まれ、本当に充実した時間を過ごしておりました。
大学に入学して半年ほど経った頃だったでしょうか。友人たちが、1年生の終わりに得度しようと話していたのです。それを聞いた私は、いずれは自分もお寺の跡を継ぐのだから、いつかは得度しなければなりませんし、ただでさえ慣れないことですから、せめて知り合いが多い方がよいという安易な考えで父に相談しました。
「跡取りとしてスタートラインに立ちたい」と宣言しているわけですから、父はさぞ喜ぶに違いないと思っていましたが、予想に反して最初は色よい返事をされなかったのです。最終的には「行ってこい」と言ってもらったものの、当時の私はすんなり送り出してもらえなかったことが腑に落ちず、「もしや自分は跡取りとして期待されていないのでは?」と、悩んだ記憶があります。とはいえ、おかげさまで無事に得度させていただきました。
ありったけの思い
私が得度して少し経った頃、父と叔父が京都に来た際に、3人で夕食をいただく機会がありました。その帰り道、叔父が思い出したように、「そういえば、得度したんだってな。おめでとう」と祝ってくれた後、「兄貴な、すげぇ喜んでたぞ」と伝えられたのです。私は大変驚いたのと同時に、私の名前に込められた父の本当の思いを知らされた気がしました。
父は普段、私に対してお寺のことで特別に自分の思いを語ることはありませんでした。それを私は勝手に受け取って、悩んだりもしましたが、そうではなかったのです。
父は、私が生まれたその時から、恐らくは母のお腹にいる時から、「元気に育ってほしい」「仏さまに出遇ってほしい」、そして「願わくは、お寺を継いでほしい」など、私にありったけの願いをかけてくれていたのです。
私はそのことに気づけずにおりましたが、父の思い・願いが私の名前に込められ、すでに私に届けられていたんだと、叔父の言葉から気づかせていただきました。
阿弥陀さまのお救いは、このことと重なるところがあるように思います。
親鸞聖人は『正像末和讃』に、阿弥陀さまがご本願をおこされた理由を次のようにお示しくださいました。
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり
(註釈版聖典606㌻)
阿弥陀さまが願いをおこしてくださったのは、苦悩する私たちをご覧になってのことであり、その救いの手立てとして「南無(まかせよ)阿弥陀仏(必ず救う)」の名号を完成してくださいました。
そのお名号をよくよく考えてみますと、わずか六文字のお名前です。しかし、そのお名前には「苦悩するあなたを放っておけない。必ず救う。まかせておくれ」という、阿弥陀さまのありったけの思い・願いが込められているのです。そして私が申すお念仏を通して、その願いを聞かせていただいていたわけです。
お念仏申すなかで私に届けられた阿弥陀さまの願いを聞かせていただき、願われていることの大きな安心と感謝のなかで、日々を過ごさせていただいております。
(本願寺新報 2025年08月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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