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新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター

トピックス2022.12.09

 2020年4月7日に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に伴う緊急事態宣言が出されて以来、私たちは当たり前のように暮らしてきた日常から切り離され、聞き慣れない言葉や情報が飛び交う中での不安な生活を送っています。

 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた国内外の多くの方々に謹んで哀悼(あいとう)の意を表しますとともに、罹患(りかん)されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。さらに、感染リスクにさらされながらも、懸命に治療・対策にあたられている医師、看護師をはじめとする医療従事者の方々、私たちのいのちと今の生活を支えてくれているすべての方々に深く敬意と感謝を表します。

 私たちといたしましては、今も困難な状況にある方に思いを寄せて、できることから始めていきたいと思います。その一環として、先の見えない新たな生活を送るすべての人へ向けてのメッセージポスターを作成いたしました。掲示・配布、SNSでの発信など、用途にあわせてお使いください。

 また、コロナ禍において、可能な限り仏縁にあっていただくため、法事の一例として「リモート法事」をテーマにした仏事奨励ポスターを作成いたしましたので、法事・法要を行う際のガイドラインと併せてご活用ください。

【 門信徒のみなさまへ 】 法事・法要 勤修のための留意点(ガイドライン)(PDF)

【 僧侶のみなさまへ 】 法事・法要 勤修のための留意点(ガイドライン)(PDF)

ポスター

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仏事奨励ポスター(仏事のすすめ 大晦日・元旦編)

(2022年12月9日公開)

「仏事のすすめ 大晦日・元旦編」
(『本願寺新報』2023年新年号に掲載)
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 私たちの日常は思い通りにならないことばかり。多くの人が不安やイライラをつのらせて生活しているのではないでしょうか。
 「一切皆苦(いっさいかいく)」という仏教の言葉があります。私たちの身の回りの物事は全て思い通りにならない、つまり、思い通りにしたいという思いが苦しみの原因であるという教えです。
 そんな思い通りにならない日々を過ごす中で、その原因に気づかされることにより、ホッとできたり安心できたりする時間や空間が持てることは、私たちの身体的・精神的な「支え」となります。


 今回のおはなしは、慌ただしい日常を送る青年の久しぶりの帰省を描いています。

  ・久しぶりのお寺と除夜の鐘
  ・心新たにする元旦のお参り【元旦会(え)】
  ・元旦会でのご住職の法話


 忙しい毎日の仕事から一旦離れて、青年が実家やお寺で触れたものは、彼の「支え」だったのではないでしょうか。
 そして、その背景にはいつも阿弥陀さまがおられます。


 『高僧和讃』に

  煩悩(ぼんのう)にまなこさへられて
  摂取(せっしゅ)の光明(こうみょう)みざれども
  大悲(だいひ)ものうきことなくて
  つねにわが身をてらすなり

 と親鸞聖人はお示しくださいます。


 自己中心的な考えにさえぎられて、阿弥陀さまのおはたらきが今ここに届いてくださっていることを忘れがちな私たちです。
 そんな私たちの慌ただしさを突き抜けて、阿弥陀さまは「あなたを決してひとりにさせないよ」「いつでもどこでも一緒だよ」とはたらきかけてくださいます。
 阿弥陀さまのおはたらきというゆるぎない「支え」により、青年はまた日常に戻っていくのでした。

 今年もみんなで、お寺にお参りしましょう。

仏事奨励ポスター(仏事のすすめ 秋季彼岸会 お墓参り編)

(2022年9月20日公開)

「仏事のすすめ 秋季彼岸会 お墓参り編」
(『本願寺新報』2022年9月20日に掲載)
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 昔に比べ、大人はもちろん子どもまでも「忙しい」時代になったように感じます。仕事、勉強、習い事... スケジュールを見ると、ぎっしりと詰まっていることはないですか?
 「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。
 慌ただしい日常の中で、大切なことを見失ってないでしょうか?
 そんな時こそ立ち止まり、仏さまに、ご先祖さまに私のこの身をたずねてみませんか?
 いただいた命を大切にしているだろうか?
 周りの命を大切にして生きているだろうか?

 今年もお彼岸の季節がやって参ります。
 人生を歩む中で、時に立ち止まり我が身をたずねていくことは、生きていくうえで大切なことです。縁ある方がたと共にお彼岸という時間を通し「何を大切にこの人生を歩んでゆくか」考えてみませんか?

 この本願寺新報9月20日号に掲載の漫画は、お墓参りのシーンを通して、家族や親戚の思いが届けられており、登場人物がそれぞれに思いを大切に受け取り、その思いと共にお仏壇でお参りする姿を描いています。

 『仏説阿弥陀経』に、「青色青光、黄色黄光、白色白光、赤色赤光」とあります。お浄土(悟りの世界)の蓮の花は、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、それぞれが光り輝いています。
 阿弥陀さまの慈悲の光に照らされながら、平等に光り輝く縁ある方がたの思いもまた、私に届けられているのです。
 私たちも、それぞれに精一杯、いのちを輝かせて生きてゆきたいものです。

仏事奨励ポスター(法事のすすめ お正月)

(2021年12月10日公開)

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「新年 まずは阿弥陀さまへのご挨拶」
(『本願寺新報』2022年新年号に掲載)
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 今回のおはなしは、エピソードが二つにわかれています。ある年始の風景を扱ったおはなしです。家族や親戚、友人などつながりの深い方がたとともに過ごす年末年始......数年前は当たり前のような光景でしたが、さまざまな事情でそれが難しい方もいらっしゃることでしょう。

 私たちは、日々の営みのなかで、あわただしく毎日を過ごして、阿弥陀さまとの大切な時間や場を、ついつい忘れてしまっているのではないでしょうか。
 思いもよらないことが続いている今だからこそ、人としてのいのちをこの世に授かり、今こうして生かされていることにあらためて気づかされ、いつでもどこでも私に寄り添いお支えくださっている阿弥陀さまへ、ご挨拶をさせていただくご縁を、ともに深く味わわせていただきたいものです。

 現在、世界や社会のさまざまな場面で分断が進み、「自分さえ良ければ、ほかはどうなってもよい」という心にひそむ自己中心性が、ますます顕(あら)わになってきているのではないでしょうか。
 しかし、そのようななかにあっても、世界の国や地域で、離れて暮らす大切な人や仲間をおもい、つながり、他者の喜び悲しみに思いを寄せることはできます。
 そして、み教えを依(よ)りどころとして生きる私たちは、直接会うことが叶わなくても、いつでもどこでも合掌しお念仏を申させていただいて、ともに力強く人生を歩ませていただくことができます。

 このたびのポスターは、法事は亡き人とつながるひとときであり、私を支えてくださるたくさんの方とつながる場となり、世界や社会の分断の中にあっても、法事を通して「つながりの中で生きている」ことに気づかせていただくための大切な時間や場所であることをお伝えするものです。
 さまざまなつながりの中で生きる私たちは、まず阿弥陀さまへの「ありがとう」のご挨拶から新年を迎えましょう。

仏事奨励ポスター(法事のすすめ 報恩講)

(『本願寺新報』2021年11月1日号に掲載)

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 報恩講(ほうおんこう)は、私たち浄土真宗の門信徒にとって特別な響きをもつ、親鸞聖人のご法事の呼び名です。親鸞聖人のご苦労を偲びつつ、私たち一人ひとりのご安心(あんじん)[信心(しんじん)]について聞かせていただくことのできる大切な場です。

 どれだけ世の中が変わろうとも、もう720年以上、それぞれの地域に応じ、各家庭、全国のお寺や別院で、代々受け継ぎ大切にお勤めしてきました。本願寺でも毎年1月9日から16日まで報恩講をお勤めしています。

 私たち一人ひとりのために勤まっているご法事とも言えるでしょう。

 新型コロナウイルス感染症の影響により、何の気兼ねもなくみんなと会い、みんなと語り、当たり前だと思っていた日常が変わりゆく中で、これまでの毎日が、いかにありがたいものであったのかを感じられた方も多かったのではないでしょうか。

 新しい日常において、私たちは、人との「つながり」や「ふれあい」の中で生きていることに気づかされました。

 寂しさや孤独を感じるとき、阿弥陀さまは「決してひとりじゃないよ、いつもそばにいるよ」と、常に私たちに寄り添い、はたらきかけてくださっています。その阿弥陀さまの願いを、親鸞聖人は私たちにあきらかにしてくださいました。

 きっと新しい日常を生きる私の力になるでしょう。

仏事奨励ポスター(法事のすすめ)

(2021年7月6日公開)

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「つながりの中で 生きている」
(『本願寺新報』2021年8月1日号に掲載)
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 人生は思い通りにならないことの連続です。頑張っても報われるとは限らない社会。たくさんの人に囲まれているけれど、誰も私のことを分かってくれないという疎外感。誰にも頼れず自分ですべてを抱え込まなくてはならない孤独感。ましてや昨年からのコロナ感染への不安と親しい人とさえ会うことができない不条理へのいら立ち。お釈迦さまの「人生は苦なり」の言葉が突き刺さります。

 ただお釈迦さまは、思い通りにならない人生を、思い通りにしようとすることを勧められた訳ではありません。
「たとえあなたがどんな状況になったとしても、決して見捨てることなくあなたを支え、ともに生きていきます」と誓われたのが阿弥陀さまです。その誓いはお釈迦さまから親鸞聖人へ。そして私たちの先祖の方がたを通して祖父母や父母に、そして私に届けられています。お盆の時期は亡き人を偲び、お寺やお仏壇・お墓にお参りをする。それは、亡き人を通して、私にかけられた願い、そして私の生き方を支えてくださる阿弥陀さまに出遇うための時間でもあります。亡き人は阿弥陀さまとともに私の歩みを心配し、精一杯のやさしさで私を包んでくださっているのです。

仏事奨励にかかる広報部会

<参考>

盆|仏教語豆事典

お盆迎える心持ち|深く知る、仏事・行事

法事奨励ポスター

(2020年12月7日公開)

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「つながりの中で 生きている」
(『本願寺新報』2021年1月1日号に掲載)
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 「前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導(みちび)き」
先立たれた方のお導きを通して

 「後(のち)に生(うま)れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ」
後に遺(のこ)った者が先立たれた方を偲ぶご法事は、仏さまの願いをきく尊い仏縁です。

 「連続(れんぞく)無窮(むぐう)にして、願(ねが)はくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。」
そして、これから次の世代に向かっても、ご法義が連綿と続くための私の念仏者としての歩みがあります。

※「  」内の言葉は、道綽禅師の『安楽集』から宗祖親鸞聖人が『教行信証』に引用されたものです。
(参考:『註釈版聖典』474頁)

 私たちは、誰一人として、自分一人だけで生きていくことはできません。

 ①人間ほど、長い育児期間が必要な生き物はいません。家族や友人、さらには学校や病院などの社会施設など、少し思い浮かぶだけでも、実に数多くの「おかげさま」によって生かされています。

 ②そういう横の空間的な「つながり」だけでなく、縦の時間的な「つながり」もあります。今の私は、親を縁として、この世に生をうけました。そして、その親にも、またさらに親がいて、何代もさかのぼれば、数え切れないほどの縁あって、今の私がいるのであり、その中の、たった一人が欠けても、今の私は存在しません。このように、私たち一人ひとりは、さまざまに関わりあっており、同時に、かけがえのない存在なのです。

 ③そして、このかけがえのない私という存在は、未来を担う次の世代へ連綿と引き継がれていきます。これまでも、これからも、私たちはつながりの中で生きていくのです。

 ④つながりの中で生かされていることに感謝する大切なご縁、その法事を、これからもつないでいかなければならないという使命感を、お育てとして気づかされます。それは、後に遺った者が先立たれた方を偲び、仏さまの願いをきく尊い仏縁です。

 ⑤このコロナ禍においても、可能な限り仏縁にあっていただくために、今回のポスターでは、法事の一例として「リモート法事」をご紹介しています。

【参拝者の設定】

◆法事会場〔左ページ〕

長男が、亡くなった父親の法事を、ソーシャルディスタンスを保ち、父親の兄弟である叔父夫婦とともに勤めている。長男の息子が、遠隔地にいる親族のために後方からリモートで撮影している。

◆都会のマンション〔右ページ上段〕

遠隔地に住む二男家族が、感染リスクを考慮し、自宅からリモートを用いて法事に参拝している。

◆高齢者施設〔右ページ下段〕

高齢者施設に入所している母親(亡くなった人の配偶者)が、介護士のサポートを受けながら、よろこびのなかでリモートを用いて法事に参拝している。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(8)

(2020年11月27日公開)

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『南無阿弥陀仏』
(『本願寺新報』2020年12月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 移り変わる世の中、私たちがこの人生を生きていく上で、本当の依りどころとなるものは一体何でしょうか。家族や財産、健康や名誉、いや自分自身とおっしゃる方もおられるでしょう。確かにどれもが大切なものであり、私の支えとなるものです。しかし、これらのものは、移ろいゆくものであり、残念ながらいつかは崩れてしまい、離れていくものでもあります。本当の依りどころとは、崩れるものや無くなるものではなく、この私の人生そのものを支え続け、導き続けるものではないでしょうか。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」こそが、究極の依りどころとなるとおっしゃいました。

 阿弥陀さまという仏さまは、「南無阿弥陀仏(そのまま救う まかせよ)」と私をよび続けてくださり、「どんなことがあってもあなたを離さない」と、私のいのちをお慈悲のなかへ摂めとってくださる仏さまです。私の人生を支え、浄土へと導き続けてくださっています。

 「南無」は、古代インド語(サンスクリット語)の「namo」という、相手に対する敬意と信頼を表す言葉を漢字に音写したものです。これを中国では「帰命」と翻訳しました。「帰命」を日本語に訳すと、「おおせにまかす」という意味になります。ただし「南無阿弥陀仏」とは、私が自分の意思で阿弥陀さまにおまかせするということではなく、「そのまま救う」という阿弥陀さまからのよび声であり、そのよび声に、すべておまかせすると、親鸞聖人はよろこばれたのです。

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『安穏であれ 幸せであれ』
(『本願寺新報』2020年12月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 コロナ禍では、マスク等の医療物資の買い占め、罹患者やその家族、さらには医療関係者などへの差別的言動が問題となっています。この危機的状況の中において、私たちは少なからず「自分さえよければいい」という自己中心的な言動をとってしまっているのではないでしょうか。しかしそのようなあり方が過ぎると、自分の安全のみを優先し、他人を傷つけ、互いに孤立し争い合う苦しみの人生につながります。

 そのような人間の悲しむべきあり方を見つめられたお釈迦さまは、私たちのいのちは、さまざまなご縁(縁起)によって生かされているという真実を説かれました。そして、私を支えるすべてのものに対して、慈しみの心を持つべきことを示されたのです。

 慈しみとは、出遇った人に安らかな心を与えることです。そのお心が、「生きとし生けるものは 安穏であれ 幸せであれ」(『スッタニパータ』)というお釈迦さまの言葉にあらわされています。仏さまの慈しみのお心は、私たちの「自分」という殻をやさしくひらき、すべてのいのちと響き合い、共に生きる豊かさを気づかせてくださいます。

 仏さまのお心にであうことは、他人の痛みを自分の痛みと受けとめ、他人の喜びを自分の事として共に喜ぶことができるような私に育てられるということでもあります。親鸞聖人はお手紙のなかで、仏さまのみ教えを聞く者は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と思われるのがよいとおっしゃっています(『親鸞聖人御消息』、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』784頁取意)。

 仏さまの温かなお心に触れたとき、そのお心は冷たく閉ざした私たちの心にそっと寄り添い、少しずつ私たちの身も心も和らかとなって、すべてのいのちの幸せを願う生き方に導かれていくのです。

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『泣ける場所』
(『本願寺新報』2020年12月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 涙を流して泣くことは、私たちにとって大切なことなのかもしれません。悲しいとき、つらいとき、涙を流すことによって、リラックスでき、心のストレスが軽くなることもあります。

 でも、私たちは、なかなか人前で泣くことはできません。弱いところを他人に見られたくない、はずかしい、こんなことで泣いてはいけない......そんな思いが、私たちに、「泣いてはいけない」とためらわせることが多くあります。

 私たちが安心して泣くことができるのはどういうときでしょうか。それは、自分のことをちゃんと分かってもらえたと思ったとき、自分の弱いところもすべて受け止めてくれていると気づいたときではないでしょうか。

 阿弥陀さまという仏さまは、私の弱いところも、強いところも、悪いところも、良いところも、すべて受け止めてくださいます。そして、私の悲しみを、「あなたの悲しみは私の悲しみ、大丈夫だよ」と、ともに悲しんでくださる仏さまです。

 「あなたをそのまま救い取る」という阿弥陀さまのお心を受け入れたとき、私たちは本当の意味で安心して泣くことができます。「泣ける場所がある」こと。それが、私たちが今を生きる力となるのです。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(7)

(2020年10月26日公開)

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『阿弥陀さまの み手のうち』
(『本願寺新報』2020年11月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 お釈迦さまは、智慧によってこの世界の真実を見抜かれました。そして、苦しみ悩む人々を目覚めさせるために、すべてのものは互いに関係し合って存在しており(縁起)、一瞬もとどまることなく変化している(無常)から、なにものにも執(とら)われてはならない(無我)、というおさとりの真実を説かれました。

 しかし、私たちはこのことを聞かされていながら、自己に執われ、自他をわけ、対立し、争い、悩み、苦しみから逃れることができません。

 阿弥陀さまという仏さまは、そのような苦悩を抱えた私たちに、かたちを離れたこの上ないさとりの真実を知らせようと、「南無阿弥陀仏」のよび声となってこの私をよび覚まし、いつでも、どこでも、どんな境遇であっても、すべての者を救うためにはたらき続けておられます。

 念仏者の人生は、いかに世の荒波に翻弄されようとも、阿弥陀さまのおさとりの心のなかにあります。だからこそ、念仏者はそれぞれの場で、阿弥陀さまのみ教えに生かされる悦びを、そして他人(ひと)の喜び・悲しみを自らの喜び・悲しみとする阿弥陀さまの温かいお心を、少しでも伝えさせていただく身に育てられるのです。

 新型コロナウイルス感染症は未だに収束を見ず、さまざまな不安を抱えながらの生活が続きます。阿弥陀さまのお心をいただいて、自他ともに心安らぐ社会となるよう、日々精進させていただきましょう。

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『ほっとする場所』
(『本願寺新報』2020年11月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 うれしい日、寂しい日、悲しい日。人生には一日として同じ日はありません。私たちは日々、さまざまな感情を抱きながら、時に誰にも言うことのできない苦しみや、悲しみを抱えて人生を精一杯に歩んでいます。

 たとえ充実した日々であっても、何かに追われ続けていると、いつの間にか心に余裕がなくなってきます。たとえ周りにたくさんの人がいたとしても、そのつながりを見失った時、ふと孤独な気持ちにもなっていきます。そんなどうしようもない不安な気持ちを抱え、慌ただしく過ぎゆく世相に押し流されながら生きている私たちは、心のどこかで本当に心休まる場所、ほっとする場所を求めているのではないでしょうか。

 阿弥陀さまはそのような私たち一人ひとりに対して、「あらゆるいのちを分け隔てなく救いとろう」と、たえずよびかけておられます。阿弥陀さまの大いなる慈しみの心に包まれていることに気づくとき、私たちの心に安らぎがもたらされます。

 お寺は阿弥陀さまに手を合わせ、阿弥陀さまのお心をゆったりと感じさせていただく場所です。私たちの人生には阿弥陀さまがご一緒です。心が疲れてしまったとき、寂しさを感じたとき、一度ほっとする場所に立ち止まってみませんか。

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『西本願寺インスタグラムはじめました』
(『本願寺新報』2020年11月1日号に掲載)
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 このたび、浄土真宗本願寺派において、SNSを活用した新たな伝道の一環として宗門内外へ広くメッセージを届けるため、インスタグラム(nishi.hongwanji)を始めました。

 仏教に接点・興味のある方に触れ、親しんでもらいたいと思っております。

 今後は、宗派からのさまざまなメッセージをはじめ、本願寺境内の写真、宗派や本願寺で行われる行事の紹介、仏教用語のわかりやすい解説等を随時発信していきます。

 皆様もHP、SNS、寺報等にて、宗派インスタグラムを周知いただけると幸いです。

【インスタグラムアカウント】:nishi.hongwanji001267-s.jpg

【URL】https://www.instagram.com/nishi.hongwanji

【QRコード】

  

※画像を右クリックして「名前を付けて画像を保存」などといった項目を選択しますとデバイスに保存できます。(文言はブラウザによって違います)
寺報などでご活用ください。

 なお、お西さん(西本願寺)Twitter(@nishi_hongwanji)においても、法要やイベントなど「今」の西本願寺を随時発信いたしておりますので、併せてご覧ください。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(6)

(2020年9月25日公開)

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『生かされている私』
(『本願寺新報』2020年10月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 自分のいのちは、自分の所有物なのでしょうか。

 この世に、自分の力でいのちを作り上げて生まれてきた人は一人もいません。私たちが"自分のいのち"と思っているものは、父母から受けついだものであり、その父母もまた、それぞれの父母からいのちを受けついでこの世に生を受けたのです。いのちは、はかり知れないほどのつながりの中で受けつがれてきたものなのです。

 また、いのちは、父や母という縦のつながりだけで育まれるものではありません。私の周りにいる人や、他の生き物、水や空気や太陽の光など、たくさんの縁のなかで、私は生きています。そのような無量の縁に支えられ今ここにいることは、まさに不思議としか言いようがありません。

 常に自己中心的なものの考え方しかできない私たちは、自分にとらわれて、いのちのつながりに気づくことができません。

 そんな私が仏法に出あうとき、自分で生きていると思っていたそのままが、生かされて今ここにいるのだと気づかされます。つまり、価値の転換がなされるのです。そして、生かされているという安心のなかで、自分にできることを精一杯つとめさせていただく生き方が開かれてくるのです。

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『一人でも独りじゃない』
(『本願寺新報』2020年10月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 私たちは、ひとりぼっちでいる時、孤独を感じます。また、たくさんの人に囲まれていても、孤独感にさいなまれることもあります。私たちは、心のどこかに孤独を抱えて生きているのかもしれません。

 私が、一人で悩み苦しんでいるとき、もし私の気持ちを100パーセントわかってくれる人がいれば、孤独感がやわらぐことでしょう。

 阿弥陀さまという仏さまは、つねに生きとし生けるものすべてに対して、「必ず救う、われにまかせよ」と呼び続けてくださっています。そのような仏さまに出あわれた親鸞聖人は、「四海のうちみな兄弟なり」と示され、仏さまの前で手を合わせる人は、お念仏を通して、すべての人びととつながっていることをよろこばれています。

 仏さまの前で手を合わせると、なぜか、ほっとします。それは、仏さまを通して、つながりのなかに生かされている温もりを感じているからではないでしょうか。

 だから、一人でも、決して独りではないのです。

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『人のわろきことは...』
(『本願寺新報』2020年10月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 新型コロナウイルス感染症の影響で、私たちの日常は大きく変化しました。「新しい生活様式」という名のもと、試行錯誤の生活が続いています。このコロナ禍の生活のなか、改めて我が身のすがたを見つめさせていただくことの大切さを感じます。

他人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いところは気づかないものである。(『蓮如上人御一代記聞書』現代語版)

と蓮如上人はおっしゃっています。他人のすがたは私からよく見えますので、他人のことを指摘することはそれほど難しいことではありません。しかし、自己中心的な考え方にとらわれて生きている私が、自分の悪い点を見つめて改善することは非常に難しいことです。

 蓮如上人は先のお言葉に続いて、

もし自分で悪いと気づくようであれば、それはよほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと思って、心をあらためなければならない。人が注意をしてくれることに耳を傾け、素直に受け入れなければならない。自分自身の悪いところはなかなかわからないものである。(同上)

とも示されています。

 普通の鏡は、表面のすがたしか映しません。しかし、仏法という真実の鏡は、私の心のままのすがたまで映し出してくださいます。仏法の鏡を通し、改めて我が身のすがたを見つめながら、仏法を道しるべとして、何に気をつけ、何をさせていただくことができるのか、共に考えさせていただきましょう。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(5)

(2020年9月4日公開)

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『無常』
(『本願寺新報』2020年9月10日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 変わり続ける世界。変わり続ける私。仏教が説く「無常」の教えは、何ものも永遠に固定的で変わらないものなど存在せず、事象はすべて変化し、うつり変わるものだという真理を教えてくれています。このことをお釈迦さまは、

こと・ものすべて無常なりと、智慧をもて見通すときにこそ、実に苦を遠く離れたり。これ、清浄にいたる道なり。(ダンマパダ)

と説かれています。ここでは、無常の道理をありのままに知ることが、さとりへと至る道であると示されています。

 しかし現実の私は、変わり続けるものに日々、翻弄(ほんろう)され、出会いや別れの一つひとつに、悲しみや喜びの涙を流しながら苦悩の人生を生きています。それが偽らざる凡夫のすがたです。

 苦悩を抱えて泣き笑いする、この凡情を断ち切ることのできない私の想いのそのままに、「南無阿弥陀仏〈必ず救う、われにまかせよ〉」とのよび声として、いまここにお浄土への道をともにしてくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。

 専如ご門主の「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」には、

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。

とご教示くださっています。

 「今日もあなたと一緒だよ。一緒に生きていこう。」阿弥陀さまの願いにつつまれて、「ナンマンダブ」とともに生きていく時、決してひとりぼっちではない安心の人生が開かれていきます。

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『落ちつく』
(『本願寺新報』2020年9月10日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、さまざまな不安を抱えながらの生活を余儀なくされています。そのような今だからこそ、私たちの家族や先祖が大切にされてきたものは何か。そのことを見つめ直す機会として、お過ごしいただきたいと思います。

 慌ただしく、移り変わりも早く、先行きも見えない。そのような私たち一人ひとりに対して、阿弥陀さまは、「あらゆるいのちを分け隔てなくおさめ取ろう」と、たえずよびかけておられます。阿弥陀さまの大いなる慈しみの心に包まれていることに気づくとき、私たちの心に安らぎがもたらされます。

 およそ550年前、本願寺第8代宗主蓮如上人は、「南無阿弥陀仏」という六字のお名号をたくさんお書きになり、浄土真宗のご本尊として各地の門弟に送られました。それは、その場その場にご本尊をもつことの意義を見いだされていたからです。そのお心は、お仏壇として現代に伝えられています。

 仏さまの前に座って、心新たに一日を迎え、心静かに一日を閉じていく。お仏壇を安置して、仏さまと向き合う時間をもつことは、仏さまの温かいお心に感謝しつつ、一日一日を心豊かに生きていくことにつながります。

 近年は、住宅事情の関係もあって、ご自宅にお仏壇を置かれていない方も増えてきているようです。そのようなみなさまには、折々の機会にふるさとのお仏壇にお参りいただくだけでなく、それぞれの環境に合ったお仏壇をお迎えいただくようお勧めしています。

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『ご恩』
(『本願寺新報』2020年9月10日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 テレビドラマのセリフがきっかけとなって、いま「恩」という言葉が注目されています。「恩情」という語に表されるように、「恩」とは、恵みや情けのことで、他の人から恵みや情けを受けることをいいますが、仏教では、より深い意味があります。

 漢字の「恩」は「因」と「心」からなります。因を尋ねる心です。私たちが今こうあるのは、突然の出来事ではなく、さまざまな原因が重なり合い、あらゆるものに支えられて、生きている結果です。このことを心に深く考えることを「恩」といいます。

 私という存在は一人で生きていくことはできません。一滴の水も、一吸いの空気も、すべてはいただきものです。いのちもそうです。決して自分だけでつくったものではありません。そのような、私を支える大いなる恵みに「心」をかけ、感動している姿を、「恩」という一字のなかに味わうことができます。

 連綿とつらなるいのちの関係性に想いを馳せ、大きな恵みや支えに対して「有り難いこと」、「お蔭さま」と受けとめていく時、私たちは決して返しきることのできない、深い「ご恩」の世界に気づかせていただくのです。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
 (親鸞聖人「恩徳讃」、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)

 親鸞聖人は、仏さまの「ご恩」、そしてみ教えをお伝えくださった多くの方の「ご恩」を讃えられるとともに、その「ご恩」に応えていく生き方をすすめられました。

 この度のお彼岸は、コロナ禍の中で、不安を感じながら迎えることとなりましたが、それぞれの場で、仏さまの大きな「ご恩」を聞かせていただき、いのちのつながりを知るご縁といたしましょう。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(4)

(2020年7月3日公開)

ポスター4

『それでいいのだよ』
(『本願寺新報』2020年8月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 新型コロナウイルス感染症は、いまなお世界中にひろがりつづけ、感染者・死亡者の数は増える一方です。昨日まで元気だった方が、突然、病に襲われ、最悪の場合には死に至るというきびしい状況のなか、多くの人々が不安をかかえながら生活しています。自分や他の人のいのちを守るために、医学的・科学的に最善を尽くして行動することが求められています。

 誰しも「健康で長生きしたい」「まだ死にたくない」という思いを抱きながら生活していますが、生まれてきたものは必ず死ぬということがこの世の真実です。その真実をありのままに受け入れることができず、生きることのみにとらわれ、死ぬことを遠ざけながら、日々を過ごしているのが、この私です。

 そのような私たちの姿を哀れみ、この世の真実に気づかせようと、あの手この手で呼びかけはたらき続けてくださるのが阿弥陀さまという仏さまです。自分中心の心でしか物事をとらえることのできないこの私を、「そのままの姿で救う」と救いのはたらきを振り向けてくださっているのです。

 我利我欲(がりがよく)の生活から逃れられない私たちは、すべて思い通りになることはないので、不平・不安を抱えたまま生きていくほかはありません。しかし阿弥陀さまの救いに出遇うとき、力強く生きていく道が開かれていきます。そうは言っても、生きている今も、そしてたぶん死ぬ時も、心がさだまらず不安がいっぱいであり続けるのが私たちです。それを「腹はすわっていない」と表わしています。しかし、そのような私たちに、「そのまま命を終えてもいいのですよ」と、やさしくよび続けてくださるのが、阿弥陀さまです。それを、「それでいいのだよ」と表わしています。つまり、「それでいいのだよ」は、「いい」とか「悪い」とかを、私たちが判断することではありません。私たちの側は、「そのまま救う」とのおよびかけを、「そのまま」受け入れるだけなのです。私たちにとっての生き死にの一大事については、この阿弥陀さまの救いのはたらきによるしかないのです。ただただ「ありがとう」のお念仏を申しつつ、気をつけて精いっぱい生きてゆきましょう。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(3)

(2020年6月26日公開)

ポスター3表

『生きて 死ぬ いのちを 生きている』
(『本願寺新報』2020年7月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 この言葉は蓮如上人(れんにょしょうにん)の『御文章(ごぶんしょう)』4帖目第9通(『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)をもとにしています。蓮如上人がその『御文章』をお書きになったのは、延徳4年(1492)6月のことです。それは、疫病(えきびょう)が流行して多くの人々が亡くなっていった年でした。

 『御文章』のなかで蓮如上人は、「このごろ疫病が流行し、多くの人々が亡くなっておられます。しかし、人は疫病のせいで死んでしまうのではないのですよ。死ぬということは生まれたときから定まっていることであって、それほど驚くことではないのですよ」(取意)といわれます。思わず「えぇ?!」と思うような内容です。

 いま現在、世界中で新型コロナウイルスに感染して多くの方が亡くなっておられることを思うと、たいへん厳しい言葉です。しかし、蓮如上人は、決して、亡くなった方やその家族の心情を無視されたわけではなく、また、医療の努力を無駄なことだとしてこのようなことをおっしゃったのではありません。蓮如上人自身、病気などで何人もご家族を亡くされた方ですので、その悲しみは深く知り抜いておられたはずです。それを踏まえると、この言葉には、「私が、いま、ここに生きているということの根底を見つめることが大事ですよ」という思いを受け止めることができます。

 人間に限らず、この世に生まれてきたものは、いつか必ず死にます。私たちはそれを当たり前のことと思っていますが、実際には、それを忘れて日々の生活を送っています。いつ、どこで、どのような形で死がおとずれるかも知らず、いざ、自分や家族に死が迫ってくると、その現実のありように恐れおののくのです。

 『御文章』では、先の言葉に続いて、「そのようなものをこそ必ず救う」とはたらき続けてくださる阿弥陀(あみだ)さまの救いが示されています。そして、阿弥陀さまの救いにおまかせして、お念仏を申す生き方をお勧めになっているのです。

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『父さん 母さん 来たよ』
(『本願寺新報』2020年7月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 10年あまり前、大ヒットした『千の風になって』に、「わたしは、お墓の中にはいません」という歌詞がありました。浄土真宗の信仰に篤かった庄松(しょうま)さんのエピソードにも「わしゃ、墓の下にはおらんぞ」と言ったそうです(『庄松ありのまま記』)。

 一見ほとんど同じですが、内実はかなり異なります。風になったり星になったりという自然現象と、浄土(じょうど)に往生(おうじょう)するから墓にはいないというのとは、本質的に違います。

 ポスター写真は、亡き両親に思いをはせてお墓参りをしている場面ですが、真宗念仏者としてのお墓参りは、墓の下の遺骨に手を合わせているのではありません。愛しい両親への思慕を通して「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のご本尊に合掌し、お念仏申しているのです。そして、称える念仏を通して、南無阿弥陀仏に出遇わせていただいているのです。だからこそ、阿弥陀さまは、「よく来てくれたね」と微笑(ほほえ)まれ、亡き両親も、お浄土に往生され、み仏となられていますから、私たちがお念仏申す身になることを、一番喜んでくださっているのです。

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『新しい生活は「和顔愛語」で』
(『本願寺新報』2020年7月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 「和顔愛語(わげんあいご)」とは、穏やかな表情と優しい言葉。とても尊いあり方ですが、これを本当の意味で実行するのはなかなか難しいことです。機嫌が悪いと無愛想になり、イライラすると他者を傷つける言葉さえ吐きかねません。調子のいいおべんちゃらや二枚舌も、不実な心が顔を出しているだけです。

 しかし、その一方で、道ばたで困っている人を見かけた時、打算とかではなく、優しい言葉が掛けられることがあるのも事実です。それは、どこから来るのでしょう。私の不実な心からは、ありえません。打算はもちろんのこと、「してあげた」という思いがおこり、お礼がないと腹立ちに変わることも不実のありようです。そんな私たちに、阿弥陀さまのお慈悲が、はたらいてくださっているのです。阿弥陀さまの智慧の光に触れた者は、身も心も柔軟(にゅうなん)になります。阿弥陀さまのお慈悲に育てられ、私の不実な心の中に柔軟な心が芽生え、優しい言葉が発せられる身に育てられたのです。

 くりすあきら君という少年の詩に、
  ありがとうは、しあわせのあいさつです(くりすあきら『ありがとうのてがみ』)
とありました。「ありがとう」と言われたら幸せな気持ちになれますし、「ありがとう」が言えるのは、その人が幸せだからです。「和顔愛語」も、幸せの挨拶です。阿弥陀さまのお慈悲に出遇(であ)った幸せのおすそ分けを伝えてまいりましょう。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(2)

(2020年5月26日公開)

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『おやさしい 南無阿弥陀仏に ありがとう』
(『本願寺新報』2020年6月1日号に掲載)
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【メッセージ文について】

 いつまで続くとも見通せない、この新しい感染症に、どう向かい合っていくべきかを考えたとき、足元をしっかり見据えておく必要があるでしょう。

 事は医学の領域ですから、まずは医師の科学的判断と指示を基本とすべきです。

 一方で、私たちの心の中は、必ずしも科学的・理性的な判断ができるわけではなく、「罹患(りかん)してしまうのではないだろうか」、「死んでしまうかも知れない」といった不安も、しばしば起こります。その不安は煩悩(ぼんのう)のしわざ。お釈迦さまのように悟れていませんから、煩悩のわが身は死ぬまで変わりません。

 そんな不安の中でも、「そのままのあなたを引き受ける」と立ち上がられた阿弥陀さまは、はたらきつづけておられます。

 ご門主さまはご消息の中で「縁起(えんぎ)や無常(むじょう)・無我(むが)というこの世のありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の私たちも決して見捨てられることはありません」(取意)と述べておられます。このようにお慈悲の真実を、その心を聞かせていただくことにより、人生のさまざまな状況の中で、右往左往しながらも、目の前の現実にきちんと向き合う道が開かれてくるのです。

 おやさしい南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)に、「ありがとう」と感謝のお念仏が出てくることでしょう。

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「ともに響き合う世界」

「分かち合える世界」

(『本願寺新報』2020年6月1日号に掲載)

【メッセージ文について】

 仏教では、この世や私たちのありのままの真実を「諸行無常(しょぎょうむじょう)」や「縁起」といいます。「諸行無常」は、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっていること、「縁起」は、すべての物事は、一瞬一瞬に原因や条件が互いに関わりあって存在しているという真実のことです。

 ところが、ありのままの真実に気づかない私たちは、つい、得体の知れないものに不安を覚えます。ウイルスを敵視し、排除しようという想いを抱いてしまいます。実は、そうした想いこそが、自分本位にしか生きられない私たちの姿を示しているのではないでしょうか。

 阿弥陀さまは、そのような私たちに対して、哀れみ慈しみの心をもって、誰ひとり取り残されず尊い安心を与えようとはたらき続けています。阿弥陀さまのお心に出遇(であ)うとき、憎しみや争い、対立を超えた、心豊かな世界が恵まれます。

 私たちは自分一人で生きているのではなく、多くの人々の支えによって生かされています。仏さまの温かいお心にであうとき、仏さまが私たちの喜び悲しみをともにするように、私たちも他人と喜び悲しみを分かち合うことができる慈しみの世界が開かれていきます。

【本願寺大銀杏の写真について】

 本願寺御影堂(ごえいどう)・阿弥陀堂の前にそれぞれそびえ立つ大銀杏(おおいちょう)の今の姿を使用させていただきました。

 御影堂前の大銀杏は、「逆さ銀杏(さかさいちょう)」ともいわれます。1788(天明8)年1月京都大火の際に、水を吹き出して火を消し止めたと伝えられています。

 また、阿弥陀堂前の大銀杏は、2017(平成29)年の台風の被害を受けて枝葉が折れ、大きく損傷しました。それから数年、今では青々と生い茂り、本願寺の境内を明るくしてくれる存在です。

 どんな困難があろうとも、立ち上がり、そして未来へ希望をつなげていく。そうした姿を私たちに見せてくれています。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター(1)

(2020年4月23日公開)

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「いま 私にできること」
(『本願寺新報』2020年5月1日号に掲載)
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「新型コロナウイルス感染症に関する『念仏者』としての声明」ポスター

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「新型コロナウイルス感染症に関する『念仏者』としての声明」
(『本願寺新報』2020年5月1日号に掲載)
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A4サイズ(日本語版)
A3サイズ(英語版)
A4サイズ(英語版)

本願寺及び宗務所における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する対応についてはコチラをご覧ください。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する対応について